「おい、成樹。起きろ。」
「おう・・・朝か。」
窓から漏れる光が夜明けを教える。だが明らかに日は昇っていない。
その時初めて、俺は風呂からあがってそのまま寝てしまったことに気が付いた。体にはタオルケットがかけられていた。悟は一体どこで寝たのか、俺はベッドを占領してしまっていたようだ。
「車借りてきたから、出掛けるぞ。」
俺は背伸びをして、あくびをする。気のない声で返事をした。
「どこ行くんだよ?」
再び瞼を閉じ反対に寝がえりをうち尋ねた。
「良いから早くしろ。」
目を開けて悟を見るともう準備万端だ。
「・・・今何時?」
「4時だ。」
少しずつ太陽が見え始めた。俺は車に揺られながらウトウトしていたが、日が昇ったのを感じ目を開けた。朝日が海を照らしている。開いた窓から風がちょうどよく吹く。5年前、猛威をふるった同じ海とは思えないほど美しい。
「朝日なんて久しぶりだ・・・。」
俺は感動していた。子供のころ見た以来じゃないだろうか。大人になってから見る朝日はたいてい飲んだ暮れた帰りだ。空なんか見てないし、都会じゃ見られない。本当にきれいだった。
そんな俺の姿をちらっと見て微笑む悟。そんな悟の姿に気がつかないほど、俺は朝日に夢中になっていた。
波の音が心地いい。風は涼しい。俺は開けた車のトランクに腰掛けて、海で波に乗る悟を見ている。何度も落ちながら、また立ち上がって、全身を濡らしながら何度も波に乗る。その姿は、昔俺より弱かった悟が何度も立ち向かってくる体育館での時間を思い出させる。口には出さないけど、負けず嫌いで努力家。俺が強く殴りすぎたことを謝ると、「謝るな!」と悔しそうに言っていた。
わざわざ俺を起こしてまで。俺はサーフィンなんてできないし、そもそも俺の分のサーフボードはない。でもなんだか、連れてきてくれたのが嬉しかった。一人はさみしいからかもしれないし、誰でもいいのかもしれない。意外とさみしがり屋だから。でも嬉しかった。こんな風にゆっくりと過ごすのは本当に久しぶりで、とても居心地が良かった。清々しい気分になれた。
俺は、いつの間にかそのまま横になり眠ってしまった。
悟の足音で目を覚ます。ウェットスーツを上半身だけ脱ぎ、ボードを持って立っている。
「ちゃんと見てたか?」
「寝ちゃった。」
俺はいたずらに笑って見せる。
「見てろよ。」
悟は視線をそらし、吐き捨てるように言った。
「見てたよ。」
そう言いかけたけど、言わなかった。俺は悟の表情を見ないふりして煙草に火を付けた。
すっかり日が昇り、空には雲ひとつない。夏の暑苦しさを感じながら、寮へ帰る車の中。
「お前さ。」
悟が話しかけてきた。
「ああ。」
俺は景色を眺めながら気のない返事を返す。
「元カノと連絡取ってんの?」
悟と出会ったとき、俺が付き合っていた彼のことを、俺は女として話していた。
「え?」
「元カノだよ。」
なんでそんなこと聞くんだよ。今さら。思い出したくもない。
「とってねーよ。」
俺は再び景色を眺め始めた。なにも気にしていないように、何もかも忘れたかのように振る舞う、これが今の俺にできる精一杯の強がり。俺はそれ以上何も言わなかったし、悟もそれ以上何も聞いてこなかった。
あの頃は毎日、幸せそうに職場のみんなに自慢していた。昨日は何をしたとか、今度どこに行くとか。でも、どこかで気が付いていた。知っていた。この恋はいつか終わるんだと。でも信じたくなかったんだろう。自分に言い聞かせるように、迫ってくる何かから逃げるように、いつも幸せな顔をして笑っていた。
悟と俺はそれ以上会話を交わすことなく、寮に着いて朝ごはんを食べて、部屋に帰ってきた。
今まで恋ができなかったのは、誰かタイプの人を見つけてもあいつを思い出すから。辛かったあの時間、背伸びしていた自分、傷つけあった日々、何もかも鮮明に覚えていて、なんだか悔しくて、辛くて、さみしいのに俺は引きこもってしまった。俺を好きになる人が現れても、あえて距離を置いた。どうしてそんなことしたのか、よくわからない。傷つきたくなかったからか。それとも、相手を信用していなかったからなのか。
それとも、まだ好きだったからなのか。
何も分からないまま、何も見つけることも出来ず、何かを探しながら、自分のさみしい気持ちとは裏腹な日々を過ごしてきた。いろんなものが壊れて、失って、空っぽになった。やがて、少しずつ生活もまともになり、自分は前に進んでいるって実感していた。誰かに求めることもなくなったし、簡単に誰かを抱いたりすることもなくなった。上手に一人でいられるようになった。
俺は大きくため息をついた。悟が変なことを聞いてきたせいで思い出してしまった。せっかく友達に会いに来たのに、そんなこと思い出して沈んでいる自分がばかばかしくなった。悟を見るといつの間にか眠っている。
「なんだよ、バカ悟。」
そう呟くと、俺は退屈しのぎに一人で外へ出かけた。台風が近づいているなんて思えないくらい晴れていた。気持ちのいい空だ。でも、蒸し暑い。俺はどこへ向かうわけでもなく、大きな道をただまっすぐ歩いた。
気がつくとずいぶん遠くまで来ていた。道はまっすぐ歩いてきただけだから、迷ったわけじゃないけど。どうやら街のほうまで来たみたいだ。ここは寮周辺とは違って、飲食店やお店が並んでいる。新しい建物がいくつか見える。きっと震災で建て直したか、修理したのだろう。平日の昼間に出歩いている人はなく、さみしい街並みだ。それでも駅前よりは人がいる。
「繁華街あるんだな。」
繁華街とは言え、誰もいないに等しい。車はほぼ通らない。人もまばらで少し通えば全員と知り合いになれそうな気がした。
俺は引き返すことにした。これ以上歩いても、面白そうな場所はなさそうだ。途中、コンビニに寄った。
悟、起きてるといいな。
考えてみればここ何年も、俺はいつも何かに追われて生きてきた。自分で仕事の期限を決めたり、誰かと約束したり。じゃないと、どう過ごしていいかわからなかったから。一人になって、何もしないでいるといろいろ考えてしまう。そんな時間は嫌というほど過ごしてきたから。時間を取り戻すかのように、何かに追われる忙しい日々を選んで生きてきた。一人になって、あの時に戻りたくはなかった。そんなことを考えているだけで気持ちがまた沈んでしまいそうだった。悟が起きていなければ、何をしていいのかわからない。こんな日々を過ごすのが久しぶりで、過ごし方を忘れていたから。
コンビニで時計を見ると昼過ぎ。もっと早く帰るつもりだった。歩きながら随分考え込んでしまった。コンビニへ入ると、冷たい風が全身を冷やす。それが気持ちよくて、外に出たくなくなった。俺は真っ直ぐアイスのコーナーへ行き、二つ買った。そして寮に帰る。アイスが溶けないように出来るだけ早足で帰路を急いだ。寮が見えたころ、寮の前にあるベンチに悟がいた。俺を見て立ち上がる。
「どこ行ってたんだよ?」
蒸し暑い中で、悟は汗をかいていた。
「あ、悟・・・アイス。」
俺も急いで帰ってきたから汗だくだ。
「アイス?」
俺は悟が外で待っているなんて思ってもみなくて、あっけにとられてしまった。だけど、なんだか嬉しくて、少し不機嫌な悟を見てすぐに笑ってしまった。
「アイスがなんだよ?」
俺が笑ったのを見て、悟はさらに不機嫌になる。
「アイス買ってきた。食うか?」
こんなことであっさり気分が明るくなるなんて、意外と単純な自分に少し驚いた。やっとそんな風になれた自分に。
「うめぇ。」
悟と俺はベンチでアイスを食べた。悟は子供みたいに零しながら夢中で食べていた。俺はそんな悟を時々見ては、ほほ笑んだ。
その後、二人で食堂へ行き、夕飯を食べた後、風呂へ向かった。