すっかり日が落ちて空が暗くなってしまった。
俺はまだベンチで考えていた。考えていたというより、思い出していた。女々しく昔のことを。
「成樹!」
声をかけてきたのは同じ寮に住む悟の同僚だ。
「女将さんから連絡があってさ!飲みに来てって!行くぞ!悟も呼んで来い!」
「え?女将さんの店?いいの?」
「ああ!女将さんが来いって言うんだ!良いに決まってる!着替えてくるからお前も悟誘って来いよ!」
そう言って部屋に戻って行った。女将さんが?この前、もう来るなって言われて、今日、悟があの男の人を殴って、地元の人もあんなに怒っていたのに。何かの間違いかもしれないと思ったが、一応誘われたし、悟を誘いに行った。
部屋に戻ると悟はベッドで横になっていた。相変わらずパンツ一枚。
「悟。」
俺が部屋に入り声をかける。
「なんか、女将さんから店に来いって連絡あったみたいでさ。皆飲みに行くって。誘われたけど、行くか?」
悟は起き上がる。
「女将さんが?」
「でも、本当かどうか。」
「・・・ああ、行くか。」
悟はいつも通りだった。
俺たちは着替えて外に出た。他のメンバーが揃って、店に向かった。店に向かう間、俺はあまり皆の輪には入れずにいた。悟はいつも通り、馬鹿みたいなことを言ってはしゃいでいる。そんな悟の姿を見ては目を逸らしていた。
店に入ると女将さんがいつものように迎えてくれた。本当に誘ってくれたみたいだった。酒が配り終わって各々乾杯しようとした時だった。
「皆、ごめんね。」
女将さんが急に頭を下げた。
「今日ね、街の皆に話したの。今まで通り、この店使ってもらうことにしたって。」
皆驚いた様子だった。女将さんはどことなく清々しい様子だった。最初に会った時のように優しくて堂々としている。
「おかしいわよね。街のためにこんなに働いてくれているのに、あんな扱い。だから、今まで通り来て頂戴!」
女将さんは笑顔になる。
「街の人は?」
雰囲気はすっかり和んでいたが、悟の表情だけは違った。悟が女将さんに尋ねる。
「街の人は女将さんのことなんて?」
「悟ちゃん・・・。」
悟の気遣いに女将さんは唇をかみしめた。
「街の人はね・・・。」
女将さんが言いかけた時、店の扉が開いた。入ってきたのは昼間、悟に殴られた男。空気が張り詰める。男は険しい表情で悟を見た。悟は、自分は関係ないかのように目を逸らす。皆がまたトラブルが起こると思っただろう。しかし、男の口からは予想していない言葉が飛び出した。
「・・・これからはこの店も使っていいし、花火大会も自由に観るといい。ただ、住人にはまだお前たちを信用していない人もいるんだ。他の店はまだ使わないでくれ。」
どこか悔しそうに、照れ臭そうにそう言うと、さっさと店を出て行ってしまった。悟は出ていく男の姿を見つめていた。
「・・・どういうこと?」
たまらず俺は聞いた。
「私が話したの。彼、私の中学校の同級生でね、奥さんは私の友達。奥さんに相談して話したの。私たちは間違ってるって。悟ちゃんが今日やったことで、街中大騒ぎになったんだけど、表沙汰になれば除染作業員の扱いが知られることになるから。そうなったら困るのは街の人たちだもの。少し強引にも見えるけど、しぶしぶ花火も許可してくれたわ。」
女将さんは悟を見る。
「大丈夫。私は正しいことをしてると思ってる。街の人に何か言われても私は自分の正しいと思うことをしたいの。本当にごめんなさい。悟ちゃん、許してね。」
その夜は久しぶりに楽しかった。俺は相変わらず悟と飲むことはなかったけど、女将さんたちと話しながら朝まで飲んだ。
帰り際、女将さんが俺にそっと話してくれた。
「悟ちゃんね、昔はすぐに文句を言う子だったの。もちろん、暴力をふるうことはなかったけど、ほら、あんな見た目でしょ?皆ずいぶん怖がってね。でも半年くらい前から文句を言わなくなって、素直に言うこと聞くようになったのよ。街の人も最初は特に悟ちゃんを嫌ってたんだけど、最近の態度を見ていろいろ考えが変わってきてる人もいるみたい。挨拶もちゃんとするし、理不尽に注意されても謝るの。あなたから連絡が来て悟ちゃん変わったのよ。」
その後、皆が女将さんに挨拶をして、店を出た。いつも通り、俺は悟と二人で帰る。他の皆はさっさと帰ってしまった。悟は俺の歩幅に合わせて歩いてくれた。
「良かったな。また店で飲める。」
悟は俺にそう言った。
「うん。」
俺はさっきまでみたいに元気がなかった。店ではいつもみたいに、元気なふりをしていた。でも、悟を見るたびに、悟の話を聞くたびに自分の中でどうしようもないくらい気持ちが溢れてくるのがわかった。後ろからなら、悟のこと見つめられるのに、面と向かうと目も合わせられなくなっていた。いつの間にか、悟をじっと見つめてしまう。
「悟はさ・・・。」
俺は悟のことが羨ましくて、仕方なかった。
「ん?」
憧れていた。
「悟は、本当に強いんだな。」
何より愛おしかった。
「なんだ、それ?」
悟は無邪気に笑って歩いて行った。歩いて行ってしまった。俺はその背中を見て立ち尽くしていた。どんどん遠くなる背中を見て、また、あの人を思い出した。
俺は本当に自分が嫌いだ。
それから一週間はあっという間で、悟は毎日仕事に行く。俺は昼間、少しパソコンを開いて仕事をして、最近は走っていた。
外はずいぶん寒さを感じる季節になっていって、夜は上着が必要なくらい冷えることが多かった。
俺は悟を見るとどうしていいかわからなくて、ここ最近は女将さんの店にも飲みに行かなくなっていた。悟は俺が行かないと店には行かなくて、なんだか気を使われているみたいで嫌だった。自分のために我慢してくれているのに、それを嫌がる、そんな自分が嫌だった。それでもどうしようもなくて、人前に出るのはなんだか気分が乗らなかった。結局俺は何もかも逃げてばかりで、毎日が憂鬱だった。悟とも前より話をしなくなっていった。俺はなおさら昔のことを思い出すようになり、一層沈んだ気分で過ごしていた。そんな俺にきっと悟は気が付いていたかもしれないけど、何も言わなかった。
そして、花火の日がやってくる。