ずいぶんにぎやかな声が聞こえる。
「いらっしゃい!」
中に入ると中年くらいの女性が笑顔で迎えてくれた。女将さんだ。結構きれいな人だった。今時青い着物の上に割烹着を着て、すぐに入口まで駆けつけてくれた。
悟は俺を別の店へ案内してくれた。さっきの店とは違って、ずいぶん安っぽい店だった。なんだか仮設住宅みたいなコンテナの建物が二つくっついたような作りで、中は広いけど、のれんと提灯がなければ工事現場の事務所のようだった。
「あら、悟ちゃん!いらっしゃい!お友達?」
俺の後ろから入ってきた悟を見て女将さんの声が高くなる。知り合いなのはすぐに分かった。
「ども!」
悟はテンション高く入って行った。今までのことを忘れたかのように。中には他にもたくさん客が入っていて、席はほぼ満席だ。俺たちはカウンターへ通された。
「よう!悟!」
元気に他の客たちが話しかけてきた。見れば昨日夕食のときに寮の食堂にいた作業員たちだ。外行の格好をしていたので一瞬分からなかった。俺も挨拶をする。
「悟ちゃんのお友達なんて珍しい。」
女将さんが酒を持ってきてくれる。悟は酒を受け取ると皆のところへ行ってしまった。
悟は俺と居る時以外はテンションが高い。同じ職場だった時も、ほかの人の前では明るく振る舞っていた。俺にはそれが悟なりの処世術だと分かっていた。その姿を俺の前では見せないことが嬉しいことでもあった。俺の前では本音のままでいてくれる。それは友達として俺を好きでいてくれる証みたいなものに感じていた。
「悟ちゃん、友達なんて連れてくることないから。ゆっくりしていくの?」
「特に予定は決めてなくて。しばらくはゆっくりしていこうかなって。」
「そう!ぜひゆっくりして!」
女将さんはとてもいい人で皆に好かれるのがよくわかった。悟が俺を放置して他のみんなと騒いでいるから、俺の相手は女将さんがしてくれた。
「せっかく来たのにね。悟ちゃんここで飲めばいいのに。」
「いつものことです。酔うと絡んでくるからいいんですよ。」
「そうなの?酔ってもいい子よ。」
「はい。知ってます。」
俺は照れ臭そうに笑った。
それから女将さんと、いろいろ話をした。女将さんは話しを聞いてくれるのが上手で、俺は悟と出会ったときから、悟に会うのが久しぶりで、昔の悟はこんなだったなんてことを話した。たわいもない会話で自分のことばかり話してしまったのに、それでも女将さんは一生懸命聞いてくれて、俺も調子に乗ってどんどん話した。だけど、俺の恋愛のことや悟の離婚のことは話さずにいた。
流れで、話はさっきのお店の話になった。除染作業員お断りのあの店だ。俺はお高くとまっているあの店が許せなかったけど、どうやら話を聞くとあの店だけではないようだ。
除染作業や復興が進むにつれ、避難指示が徐々に解除されていった。数年ぶりに自分の家に帰ることができる。俺からすればそれはとてもいいニュースに聞こえた。でも、被災者たちにとってはいいことだけではない。むしろ、悪い知らせであることのほうが多いようだ。
確かに話を聞くと気持ちがわからないでもなかった。数年間帰っていない家に急に帰れと言われても、難しい。周辺の生活施設は誰もいないままだし、治安も悪い。政府からは十分な説明もないらしく、除染が十分なのかもわからない。それに、避難してきた人たちは毎月補償金をもらっている。家に帰るとそのお金ももらえない。
今の生活にやっと慣れてきたところで、決して元には戻らない自分の居場所に戻るのは辛い。女将さんの店も避難区域にあるらしい。だけど戻っても商売はできない。避難して、仮設のこの建物でお店を始めて、やっと生活も安定してきたのに戻れと言われても、すぐには戻れなくなってしまった。
避難区域ではそれぞれ復興の道を探していたけれど、そこへやってきたのが除染作業員。でも、作業員はほとんど地方からの出稼ぎ労働者達で、素行が悪かったり犯罪を犯したり、他では就職口がなくて仕方なくやってくる人もいる。「除染作業員お断り」は除染作業員が店にいると、他の客が来なくなるからだそう。自分の家の前を作業に向かう人たちが通るのでさえ、苦情が来るそうだ。
「皆、福島のためにやってるのに・・・。」
俺は複雑な思いでいた。
「仕方ないのよ。純粋に復興に協力したいと思っている人ばかりじゃないし、それでもお給料を出してやってもらわなくちゃいけないし。なんだか汚れ仕事を人に押し付けるみた
いで嫌な気持にもなるけど、仕方ないのよ。」
俺は女将さんのその言葉を聞いて、悟を見た。皆と騒いでいるその姿は昔のまま。でも、俺の頭から、さっきの悟の姿が離れなかった。
「悟ちゃん、張り切ってたのよ。」
女将さんは俺の視線に気が付いたようで、悟のことを話してくれた。
「悟ちゃんね、あなたが来ること、皆に自慢してたのよ。おいしいお店一生懸命調べてね。張り切ってたの。」
「へぇ。あいつが?」
女将さんは笑顔でうなずいた。悟が俺のことを誰かに自慢するなんて思ってもいなかった。
「あいつは、昔から酒がないと何も言えない奴で。普段は素直じゃなくて、素を出さないっていうか、カッコつけてるって言うか、よくわからない奴だったんです。言いたいこととか、こぼしたい言葉とか、そういうの全部我慢してるように見えて。」
女将さんは俺の話を黙って聞いてくれた。
「こっちは本音が聞きたいのに、我慢してるから、何も聞けなくて。なんだかその我慢を無駄にしちゃいけない気がして。時々ね、ポロっと本音を言う時があるんですよ。自分のことじゃなくて、俺のこと慰めてくれたりとか。さっきも、謝ってきたんです。店出た後、帰り道で・・・。てっきりいつもみたいに店の人にキレると思ったのに。何も言わずに帰った姿に、なんだか腹が立ってたのに、そんなことどうでもよくなって。悟のあんな姿見たの、初めてで。」
「俺と付き合うのが最後だってさ。もう誰とも付き合うことはないって。」
俺は職場の休憩室で悟の前に座っていた。彼氏と別れた直後だった。傷ついて、ボロボロだった。さすがに疲れて、仕事どころじゃなくて、自分がどれだけ馬鹿なのかわかっていたけど、どうしようもなかった。彼氏は俺に、もう誰かと付き合うことはないと告げて行った。俺にはそれがとても悲しい言葉に聞こえた。腹が立った。最後の男として、一生彼の中に残るってことだろう。でも嬉しくはなかった。最後になるなら、ずっと一緒にいたかった。
職場では毎日自慢ばかりしていた。皆俺がわがままだから振られても仕方ないと、俺の味方をしてくれる人はいなかった。話だけ聞けばわがままに思われたかもしれない。わがままを実際言っていたのかもしれない。でも、今思うと、俺はいつか別れると思いながら付き合っている自分を認めたくなくて、自分に言い聞かせたくて、信じ込ませたくて幸せな自分を見せびらかしていた。無理して笑っていた。
「彼女に言っとけ、嘘つけって。」
悟は俺にそう言った。初めて誰かが味方してくれた気がした。嬉しかった。なんだか一人じゃない気がしたし、俺の痛みをわかってくれている気がして心強かった。そのたった一言で、俺は救われた。本当に嬉しかった。悟は俺の顔を見ることなく、目の前の弁当を食べていた。俺も黙って弁当を食べた。
「優しいのね。悟ちゃんそっくり。」
ふと見ると女将さんは俺を見つめている。俺は急に照れ臭くなってしまう。
「俺があいつと?」
「ええ。」
女将さんは大げさに首を縦に振る。
「どこが?!」
俺の反応を見てどこか楽しんでいるようにもみえる。
「そっくりよ。二人とも。」
女将さんとたくさん話をして、とても楽しい時間を過ごした。俺はすっかりこの店が好きになった。通うのがよくわかる。
帰り道、俺は悟と歩く。寮までは15分くらいあるだろう。悟は酔っているのに、いつもみたいに素直じゃない。口数も少ない。まるで素面のときのようだ。
「俺、カッコ悪かったろ?」
悟がゆっくりと、酔った口調で言った。
「は?なんだよ急に。」
「いいから答えろよ。どうなんだよ?」
悟が酔って質問するといつもこうだ。答えるまで「どうなんだよ?」って。答えにくいことを聞いてくるから、俺はこれが嫌いだった。それに、ちゃんと答えても次の日には忘れているか、話したがらない。だから、答えるだけ無駄に思えた。
「・・・まぁな、少し。」
「・・・あっそ。」
「でも、昔からカッコ悪いだろ?」
上から目線で少し強がって見えたかもしれない。ふざけた口調は俺の精一杯の照れ隠しだ。
「うるせぇ。」
お互い笑う。
「いいんだよ、お前は。かっこ悪くてさ。」
「へぇ・・・。」
口元が緩んでいた。気がついた。言わなかったし、見ないふりしたけど、悟は笑っていた。きっと俺も。
「10月に花火大会あるんだぜ。」
急に話し始めた。酒が入るとよくしゃべる。
「10月に?!」
俺は大きな声を出す。酒が入っていたせいかもしれない。
「ああ。震災でできなかったけど、今年はやるんだ。でも夏に間に合わなくて10月にやるんだって。」
「あー、そういうことか。」
「お前行くだろ?」
「10月か・・・それまでいるかな。」
「いろよ!10月までいろ!約束しろ!」
本当に酔った悟には敵わない。俺の肩に手を回してきた。重たい体が俺にのしかかる。
「わかったよ!離れろ!」
俺はわざと嫌そうな顔をした。その姿を見て悟が笑った。俺も笑った。
「楽しみにしてるぞ!」
悟は機嫌よさそうに歩く。単純な奴だ。こんなに楽しいのはいつ振りだろう。そんな日がいつまでも続けばいいのに。一瞬そう思って、すぐにやめた。俺は何も考えず歩いた。何も考えていないふりをして。そう自分を信じ込ませて。