将也は足を引きずりながら速足で家に近づく。建物に挟まれた狭い場所に立っていた将也の家は大きく炎を上げて燃え盛っており、隣の家にも火が回っている。外には人だかりができていて、近所の人たちが必死に水をバケツリレーでかけていたが、とても近づける状態じゃなかった。
「まーくん?」
そばで名前を呼ばれて振り向くと、そこにはケイコの姿。体がススだらけで、手にはバケツを持っている。髪は乱れていて服もところどころ黒ずんでいた。
「あんたどこにいたのよ!」
心配そうに駆け寄るケイコ。
「ケイコ、家・・・。」
将也は呆然とつぶやく。
「中にまだみんな居るのよ!あんたも手伝って!」
「みんな!?みんなって?」
ケイコの言葉を聞いて焦る将也。
「俊君も!中にいるの!俊君のお父さんがガソリン浴びて火をつけたの!早くこれ持って火消すのよ!もうすぐ消防車が来るから!」
ケイコはバケツを渡すと一目散にバケツリレーの列に加わった。将也は家のほうを見つめている。
「・・・俊太郎・・・。」
そう呟くと持っていたバケツの水を頭からかぶった。そしてわき目も降らず燃え盛る家の中へ走っていった。
周りの大人たちがその姿に気が付き将也を制止しようとするが将也は思い切り振り払い中へ突進していく。
「まーくん!」
ケイコも叫ぶがすぐに将也の姿は見えなくなってしまった。追いかけようとするケイコをやはり周りが止めに入った。
入ると、店の奥にレイコが倒れている。
「おい!レイコ!」
将也は口を押さえながら駆け寄ると、レイコの大きな体を揺らした。口元に殴られたような痣がある。
「将也!」
すると2階から将也を呼ぶ声が聞こえてきた。将也は声のするほうを向き、レイコの体を飛び越えて階段の上を見る。
「泉!」
声は泉だ。
「将也!」
泉は必死になって叫んだ。階段はすでに火の手が回り、今にも崩れそうだ。
将也は一気に階段を駆け上がる。そして2階に出るとさらに強い火に包まれている部屋があった。階段のすぐ目の前に天井の柱が崩れ落ち、炎が居間と将也のいる階段付近との間に壁を作っていた。
「なんだよ、これ・・・。」
将也はその部屋の光景を見て唖然とする。
奥に倒れているのは智博。腹部に刃物が刺さり血を流して倒れている。智博の部屋では祐介が倒れている。そして部屋の真ん中には炎に包まれた俊太郎の父親らしき人の影と、その横に俊太郎の姿。一番奥の壁際に泉と、泉に抱えられぐったりと倒れる七海がいる。
「将也!どうしたらいい?」
泉が泣きながら将也に尋ねた。その表情を見て将也はTシャツを脱ぎ手に巻いた。そして倒れ燃えている柱の端を掴み押す。恥に寄せ通路を開いた。
そして泉の元まで駆け寄る。顔を腕で覆い、もう片方の腕で口を押え、火の粉を払いのけながら頭を低くしてやってきた。
そして手に巻いているシャツを取り泉の肩からかぶせる。泉が抱えている七海を抱きかかえ泉の手を持った。
「来い!」
そう言うと、一気に階段のところまで走る。泉も泣きながら必死になってついていく。途中つまずき転ぶが、泉はすぐに立ち上がり階段までやってくる。肩にかけられたシャツで口を覆い、目を痛そうに細める。
そして、崩れそうな階段を降りると、七海を泉に託した。
「行け!」
「将也は?」
泉は叫ぶが、将也は返事をする前に再び階段を上る。
「将也!」
その時大きな音とともに階段が崩れ落ちた。
「きゃあ!」
泉は七海をかばうように背中を向けた。すぐに振り返り将也を見る。将也も大きな音に振り返った。そこにもう階段はなくさっきより炎が勢いを増していた。
「将也!」
「行け!」
そう言うと将也は部屋の奥へと行ってしまう。泉は泣きながら店へと出た。そこで横たわるレイコを見つけると、七海をレイコのおなかに乗せ、レイコの腕ごと重たい体を引きずる。
泉の瞳からは次々と涙が零れる。重たいレイコの体を少しずつ引きずる泉。しかし女の子一人の力ではとても動かせない。それでも歯を食いしばり、必死になって引っ張る。地面を蹴り、何度も腰をつきながら引っ張る。
「俊太郎!俊太郎!」
将也は階段のところから俊太郎に呼びかける。さっきより火が激しく燃えて、俊太郎の元へ行くのに躊躇していた。俊太郎は倒れたまま動かない。
将也は意を決して目の前に広がる炎の中へ飛び込んだ。飛んでくる火の粉が上半身裸の将也に降りかかる。目の前の炎を飛び越えると将也は地面に手をついて倒れた。周りで燃える炎の熱さ、そして煙のせいで目が痛くなり、呼吸も苦しい。しかし、将也は体を起こし、俊太郎のそばに駆け寄った。
「俊太郎!俊太郎!」
必死に声を出す。頭を抱きかかえ肩を揺らした。しかし、俊太郎は反応しない。その姿を見て将也は不安そうに涙を流し始める。
「俊太郎!起きろ!」
必死に呼びかける将也。
「俊太郎!」
将也は俊太郎の頬を叩く。しかし、反応はない。
息をしているのかどうかさえ分からなかった。
将也は俊太郎の体を揺らすことをやめる。そっと優しく頬をなでた。
「なんで・・・。」
涙を流し、俊太郎の顔に自分の顔を近づけた。
「なんで・・・俊太郎・・・。」
その時、俊太郎の瞳がうっすらと開いた。そして将也を見つめる。
将也は顔を離す。
「俊太郎?」
俊太郎は明らかに瞬きしている。弱々しいがまだ意識があるようだ。
「・・・。」
将也はその姿に言葉を失うがすぐに我に返った。
「い・・・今助けてやる!」
将也は俊太郎を抱きかかえ背中に乗せる。将也よりも大きな体。重そうだ。ほとんど俊太郎の体は地面についているが将也は這いつくばるように出口に向かった。しかし炎はどんどん勢いを増す。
その時、将也は背中を押される。その勢いで俊太郎は背中から落ちてしまった。背中を押したのは俊太郎だ。
「俊太郎!何してるんだ!」
将也は体を起こし横に倒れた俊太郎の元へ駆け寄り怒鳴る。
そして俊太郎の腕を掴む。しかしその腕を振りほどく俊太郎。その行動に将也は俊太郎の気持ちを察する。
俊太郎の顔を見ると浅く呼吸をして、目をか細く開け、苦しそうに将也を見つめていた。もう声を出す気力さえないのだろう。その姿に将也は顔をくしゃくしゃにして涙を流し始める。
「嫌だ!俺が助けてやる!」
涙声でそう怒鳴ると俊太郎の腕を掴んで引きずり始めた。
気が付くと俊太郎の瞳はすでに閉じられている。体はどんどん出口のほうへと引きずられ、将也も暑さと煙に目を閉じ、咳をしながら苦しそうに引っ張り続ける。涙を流しながら。諦めずに引っ張り続ける。
何かを叫びながら、必死に。
大きな音を立てて崩れていく家。跡形もなく、灰に変わる。
1階では泉がレイコを引っ張りながら外に向かって叫んでいた。涙を流して必死に。
外ではケイコが膝から崩れ落ち、両手を口に当てて、すべてを奪っていく炎をただ茫然と見ているしかなかった。