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晴れた昼間。今日は土曜日で、たまたま自転車屋の仕事も休みだ。
俺は自宅でベッドに横になりながら、ただ空を見つめていた。
こんなに天気がいいのに、なんだか何もする気が起きなくて、窓から小さく見える空をただ眺めているだけだった。福島の空はもっと広かったのに、ここで見る空はとても小さい。冬だから空が低いせいかもしれない。
電話が鳴る。福島の女将さんからだった。一瞬、出ようかどうか迷ったけど小さくため息をつき、通話ボタンを押す。
「成樹くん?元気にしてるの?」
相変わらず本当にいい人だ。あれから一度も連絡を取っていなかった。ちゃんと挨拶もできなかった。
「お久しぶりです。すいません、突然帰ったりして。仕事が急に忙しくなって。」
お決まりの社交辞令を並べる俺。
「いいのよ。東京も寒いでしょ?たまにはご飯食べに来てね。」
女将さんの心配そうな声が電話の向こうに聞こえる。
「はい・・・あの。」
俺が言葉を詰まらせる。
「悟ちゃん、全然お店に来ないわ。」
「ああ、・・・そうなんですか。」
「顔見なくなってから寂しくてね。前より飲み会も少なくなったのよ。皆、あなたに会いたがってるわよ。」
俺は複雑な気持ちになった。
「悟ちゃんとは連絡取ってるの?」
「あ、いや。あれから忙しくて。あいつ、元気ですか?」
俺はわざと声を張って、元気に見せた。
「この前町で会ったときはいつも通りだった。たまには連絡してあげて。忙しいのにごめんね。本当にまたいつでも来てね。」
「あ、はい。また・・・。」
俺は電話を切る。
「あいつ、元気ですか・・・か。」
俺は小さく呟いた。胸が痛くなった。なんだか自分が卑怯な気がした。散々傷つけておいて、悟のこと女将さんに聞いたりするなんて。元気がなくたって、元気だったって俺には関係ない。それなのにあいつの様子を聞いたりして。
結局いつも通り、俺は自分に失望した。もういい加減慣れていた。また始まった、そう自分に対して呆れながら何気なくスマホを見つめる。電話帳を開き、悟の番号を見つめた。久しぶりに女将さんと話をして、悟のことを考えてしまう。
あいつ、俺に何て言うだろう。何もなかったように電話に出るのかな。もう俺の声なんて聞きたくないかな。
俺から連絡が来るのを・・・・・・待ってたりするのかな。
俺は画面を閉じた。どこまでも卑怯で女々しい自分が、また嫌になった。
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「俺、会社辞めようかな。どう思う?」
休憩中、何気なく悟に聞いた。
「なんで?」
悟はいつも通りだ。俺もいつも通り。でも心はそろそろ限界だった。なんとかしたくて、どうにもならないってわかっていたけど環境を変えてみようかと思った。
その頃はそんなことばかり考えていた。何もかも捨てて、誰も知らない場所に行って、家も、仕事も、友達さえも、何もかも新しくやり直せたら、自分自身も新しくなるような気がしていた。
「別に、理由はないけどさ・・・もう良いかなって。」
「なあ、それより今夜合コンだぞ。」
悟は相変わらずだ。毎日のように飲み歩いている。子どもも生まれたのに。
「ああ、・・・わかってるよ。」
俺は悟にまで期待していた。そんな自分にも、期待に応えてくれない悟に少しがっかりしている自分にも嫌気がさした。急に辛くなった。
ここ最近は彼と会える日も少なくなっていった。いつも夕食だけ一緒に食べて彼はそのまま家に帰る。体調が良くないとか次の日友達と約束があるとか、1週間働き詰めで疲れているから、ジムで発散したいとか。
俺と付き合う前は、休みになる度にジムに行って1週間の疲れを発散するのが日課だった。俺と付き合うようになってそれができなくなった。だからストレスも溜まっていったのかも。
俺は、彼にとっての支えにも、頼れる存在にも、何にもなれていないんだと気が付き始めていた。
今まで会いに来てくれていた時間がなくなると、俺は尚更寂しくなった。当然だろう。これをどう受け入れるべきなのか、どう処理していいのか、俺には分からなかった。
今までずっと感じていた不安が現実になっていく日々。いつまでも、無理してまで会いに来てくれるとは当然思っていなかった。望んでいたけれど、いつかこんな日々が来るとわかっていた。それでも自分に何度も言い聞かせて、誤魔化して、なんとかやってきていたのに。
泊まれない日は決まって、外で食事をした後、彼が家まで送ってくれる。マンションの駐車場の奥にわざわざ車を止めて、人に見られないようにキスをして、俺は車を降りる。そして、彼は車を出して行ってしまう。
残念そうな顔をしてくれるけれど、なんだかそれさえも信じられなくなっていた。
俺はもちろん、とてつもなく寂しかった。
すぐ隣にいる時でさえ。
合コンではいつも通りの風景。悟は酔っ払い、俺も盛り上げる。俺に興味を示してくれる女の子もいたけど、俺はその場限り、適当に口調を合わせる。悟は酔っ払ってくるといつもと同じように俺に絡んできた。
「おい!成樹!聞いてんのか!」
俺は、また始まったくらいに思っていた。悟とはテーブルの端と端。大きな声で俺に聞こえるように叫び出す。隣に座る女の子は笑っている。
「ああ、わかったわかった。」
俺は軽くあしらうと、再び隣の女の子と会話を始める。
「お前に聞いてんだよ!何が会社辞めるだ!ふざけんなよ!」
そんなこと言われるとは思っていなかった。
「は?なんだよ、急に。」
「うるせぇ!俺のことはどうするんだよ!会社辞めるってなんだよ!!!」
急に怒鳴り始める悟。女の子は「成樹くん会社辞めるの?」と聞いて来ていたが、悟のあまりの荒れ様にそのうち少し引いてしまっていた。
「どうした、急に?」
一緒に来ていた悟の男友達も、驚いた様子で聞く。悟は俺を黙って睨み続けていた。
俺は、急にそんなことを言いだした悟に驚き、ただ見つめる。
悟の目から一粒、小さく涙が零れたのを見た気がする。
「・・・店、変えようか?」
たまらず、一緒に来ていた男の子が口を開く。女の子はすっかり冷めてしまい、微妙な顔で頷いて、全員店を出た。
結局、悟はその後俺に絡んでくることもなく、他の女の子と話すこともなく、店には行かず解散になった。
「成樹くん、悟のことよろしく頼むわ!」
悟の友達は女の子を送っていく。俺にそう言うと女の子たちと駅へ入って行った。
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俺は、端で地面に座りぐったりとしている悟の元へ行く。隣へ座り、悟の肩を持った。
「おい、悟?皆帰ったぞ?立てるか?」
俺は肩を優しく揺らし声をかける。
「辞めんな!」
急に大声を出して怒鳴る悟。俺は驚いて体がびくんと震えた。まわりの人たちが一瞬振り返る。
「おい。呑みすぎだ。帰るぞ。」
俺は少し引きながらも、悟の言葉を流す。
「離せよ!」
そう怒鳴ると悟は俺の手を振り払い立ち上がる。立ち上がると同時によろけると、転んでしまった。
「おい!あぶねーよ。」
俺は悟に駆け寄り体を支えた。
「お前。」
駆け寄った俺の顔を見て、弱々しく俺に言う。
「会社辞めるなんて言うなよ。」
「え?」
俺はどうしていいかわからなかった。さっきから何を言っているのか理解できてなかった。だが、やっと気が付いた。昼間言ったあの一言、ずっとそのことを言っているのだと気が付いた。
「お前が会社辞めたら、俺どーすんだよ。」
悟は俺の顔を睨みつけ、いつもの不愛想な口調で静かにそう言った。
「・・・そんなの・・・知らねーよ。」
「・・・・・・あっそ。」
悟は、俺を睨んでいた視線をゆっくりと下ろし、そう言うとゆっくりと立ち上がって、とぼとぼと帰って行った。まるで何か諦めたように悲しい顔をしていた。
俺はその後ろ姿を見つめることしかできなかった。
晴れた小さな空を窓から眺めながら、俺はあの夜のことを思い出していた。
どうして、素直に喜べなかったんだろう。嬉しかったのに。俺を必要としてくれるやつがこんな近くにいることが、本当に嬉しかった。それなのに、俺は若くて不器用で、何が人を傷つけるのか知らなかったから。
何より自分が傷ついていることに気が付いていなかったから。
あの夜、悟はどんな思いで俺にあんなことを言ったんだろう。
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