一番楽しい日~粉雪


「久保さんて、格闘技やってるんですか?」

「成樹でいいよ。皆そう呼んでるし。」

「あぁ・・・成樹は・・・。」

悟とまともに話したのは、俺が帰り際に声をかけて、しばらくしてからのことだった。

相変わらず毎日怒られて、ただ黙って頷いている日々。遠くから見ているだけで何もしてやれないのは辛かった。

悟は別のチームで、仕事のことは口出しできない。だからせめて、休み時間くらいはいろいろ話したくて昼に誘ってみた。

悟は恥ずかしそうに俺の名前を呼んだ。急にたどたどしくなる姿を見て俺は笑ってしまった。

「格闘技だろ?やってるよ。興味あんの?」

「あの・・・うん、そう。やってみようかなって。」

「俺が教えてやろうか?」

「マジで?教えて!」

悟は嬉しそうに俺の誘いに食いついてきた。

それから、悟はジムで体を鍛えながら月に一度くらい体育館で練習した。その内仲良くなって、他でも遊ぶようになった。子どもが生まれた後は家に遊びに行って、奥さんとも仲良くした。悟の体はどんどんでかくなって、そのうち自分で格闘技の道場にも通うようになった。それでもまだ俺の方が全然強かった。

 

「今日、あのババアに言い返した。」

「は?マジかよ?何て?」

「うるせぇって。」

「あはははは!うるせぇって言ったのか?」

「ああ。」

「会社でそんなキレ方するやついねーよ!あははは!」

「うるせぇ。」

そう言うと悟は恥ずかしそうに笑った。

悟が来てから、俺は仕事が楽しくなった。悟もいつも俺と一緒だったから、女上司も悟をいじめるのは諦めて、その内他の後輩をいじめるようになっていった。

 

「お前、彼女とどうなの?」

帰り道、悟が口を開く。

「別に。もう駄目かもな。」

俺は無理に笑う。

「なんで?」

「なんでだろ。よくわかんなくてさ。」

ふと真顔になる。

「俺が彼女見つけてやる。」

「は?紹介してくれんの?」

「紹介っつうか、俺がお前の女を決める。」

悟の顔は真剣だった。

「・・・お前が紹介する女なんて嫌だ。」

俺はそう言うと大袈裟に笑って見せた。でも悟は笑わなかった。俺は悟の顔を見ないふりして改札へ入って行った。

 

なんだか嬉しかったのを覚えている。

 

 

「みるからにゲイだよな。」

彼氏は周りの目を気にする人だった。少し仕草が所謂おねぇ系の人がいると、蔑んだような目で見てそう言う。俺にはそれが不自然に感じた。どうして自分と同じゲイを見るとそんなに嫌そうな顔をするのか。

今考えると、病的なほど人の目を気にする人だった。だから、ゲイを見るとそういう態度になってしまうんだと思う。

洋服はいつもブランド物を着ていたし、エステにも通っていた。不良だったころの喧嘩の原因は、いつも自分の悪口を言われていたり噂が流れてきたりした時だったそう。筋肉質だった昔の話とか、喧嘩が学校で一番強かった話をよくしていた。
自分に自信がない裏返しだったのだろう。

外を歩く時は、すごくまわりを気にする。男二人で歩くにはそれほど不自然な場所へはいかないようにしていた。遊園地やカフェ、観光地や水族館なんかには行ったことがない。人目を気にしていることに気づいていたから。

人がいる道では話しかけても素っ気なくて、俺と距離を取って歩く。俺もそのことを責めたりしたことはないし、いつしかそれが二人の暗黙のルールになっていた。

 

家にいる時は普通のカップルと何にも変わりないのに、外にいる時はまるで他人だった。俺はいつだって彼の背中だけを見て、話すこともなく、一緒に写真を撮ることもなく、肩を並べて歩くことさえせずに、後ろからついて行くだけだった。

 

 

俺はいつも彼との思い出が欲しくて、外にデートに行きたがった。

でも忙しくて時間のない彼とはそれほど遠出はできず、近所の銭湯や昼間はプールとかジムに行く。

それでも少し時間がある時は、電車で鎌倉に行ったり。お盆や正月だけは長い休みが取れるから少し旅行に。
そんな時は決まってわくわくしていた。楽しみでしかたなかった。
でも一日空いていることは少なく、旅行も夕方から。

次の日は昼過ぎには帰って、実家へ戻ってしまっていた。

 

限界のある二人の時間はもどかしくて、俺達は別れを惜しむように時間まで抱き合っていることが多かった。

 

 

唯一、彼が外でも家の中と同じように接してくれた、夏の旅行。お盆休みで海へ行った。

彼は肌を焼くのが好きで、冬も真っ黒だ。旅館を予約して、彼の買い出し用の小さなトラックで出掛けた。

連れてこられたのはゲイビーチ。周りがゲイだらけで、ここでなら俺達が普通に過ごしても変な目で見られない。

 

だけど、俺は正直悲しい気持ちだった。

 

こんなところに来ないと普通に過ごせない俺達って、この先、どんなふうに付き合って行けばいいのか分からなくなっていた。それに他の男の目につくこんな場所に俺を連れてくる彼氏の気持ちも、正直理解できなかった。

 

俺はこうして、毎日不安を感じながらも、そこから目を背け、自分に言い聞かせ、笑っていた。

ビーチでは、みんな人目も気にせずキスしたり、抱き合ったり、海ではしゃいだり。

それに比べ、俺達は控えめに過ごしていた。彼とは少し海で泳いで、持ってきたビーチバレーボールで10分程遊んで、少し散歩しただけ。彼はそれ以外の時間、日焼けに使っていた。俺は一人で、何もすることなく、砂浜でボーっとしていただけだった。

 

「今までいろんな人と遊んだけど、一番楽しい日だった。」

後日、彼は俺にそう言ってきた。

 

何もしてない。ほんの少し遊んだだけ。俺は海を眺めていただけ。他のカップルみたいに抱き合ったり、キスしたりしてない。ほんの1時間くらい遊んだだけ。後は旅館に帰っていつも通り体を重ねて、食事をして、疲れた彼は早々に寝てしまった。

今まで付き合ってきた男はもっと大人っぽかったらしく、子供みたいにはしゃぐ俺のような男とは初めて付き合ったそうだ。海に来て1時間遊んだことが今までの経験にないものだったのだろう。嬉しかったようだ。「いろんな人と遊んだ」その言葉も俺にとっては辛かった。

 

一人で砂浜にいる間、俺は他のカップルを羨ましそうに見ていた。

本当は俺もそうしたかったけど、自分が子供じみているように感じたから我慢していた。

 

付き合って半年くらいの出来事だ。

 

 

俺にとって本当に大切なものがわからなくなっていた。自分が嫌いになっていく日々、伝わらない想い、満足できない心、体を重ねている時だけ感じる幸福感。俺は何を求めているのか、分からなくなっていた。

 

今思えば、形なんて何でもよかった。言葉じゃなくてもよかった。でも、言葉以外信じられなかった。言ってほしい言葉が沢山あった。言いたい言葉が沢山あった。

けれど、俺達は月日を重ねるごとに、伝わらない言葉が増え、伝えたい言葉はいつしか相手を責める言葉に変わってしまう。言ってほしい言葉は言ってもらえず、言いたい言葉は言えなくなっていった。崩れていくのが手に取るように分かった。

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