いつの間にか、外の雨が止んでいる。音が聞こえなくなった。不自然なほど静かだ。
悟は泣きじゃくる俺をイスに座らせて、俺が落ち着くまで隣にいてくれた。
俺はひとしきり泣いて、袖が涙と鼻水で濡れた。なんだか悟の前であんな風に取り乱して泣いたことが、落ち着いてから考えると恥ずかしくなった。俺のキャラじゃない。俺は何か言葉を掛けることもなく、ただボーっとしていた。悟も何も言わない。
何となく、落ち着いた。いいだけ泣いたからか、悟が隣にいてくれてるからなのか、気持ちも穏やかだった。
「明日さ。」
悟が静かに口を開く。
「女将さんがご馳走作ってきてくれるってさ。」
「・・・病人だろ?」
「酒は体にいいんだぜ?」
俺は呆れて溜め息をつく。
「はぁ・・・酒なんか駄目に決まってんだろ。」
悟がそっとほほ笑む。
「でももう元気だ。」
淡々としたやり取りが続いた。
「また倒れるぞ。」
「もう倒れねぇよ。」
俺は悟の顔を見る。いつも通り、間の抜けた顔をしていた。俺はその顔を見て、なんだか安心した。再び前を向く。
「あんまり飲みすぎるなよ。すぐ調子に乗るんだから、お前。」
「うるせぇ。」
こんな何気ないやり取りで良かった。ドラマみたいなセリフも、感動させられるような大袈裟な言葉も別にいらなかった。こんなどうでもいいやり取りに、俺は優しさを感じた。
悟を病室へ戻して、俺は廊下のベンチで寝た。一緒に寝るかと誘われたけれど、即答で断った。空いてるベットで寝ればいいと言われたが、悟には迷惑を掛けたくなくて、一度は頷いたものの、悟には黙って廊下のベンチで寝た。
次の日、朝早く。昨日の雨のせいで、水たまりがたくさん作られていて、周りの木々には水滴が付いていた。それを太陽が照らし、明るくて眩しい街が広がっていた。
俺は悟と会わないまま、病院を去った。女将さんとは電話で話した。家に泊まればよかったのにと言われた。本当に優しい。せっかく頼ってくれたのに結局何もできなかったのが申し訳なかった。
病院を出て、駅まで歩いて、結構遠かったけど、眩しい街並みの中を歩くのは気持ちが良かった。そして電車に乗って、昼過ぎに東京に着いた。
あんまり寝れなくて、俺は仕事をずる休みした。家に帰ってシャワーを浴びて、寝た。
悟は、やっぱり強かった。大きかった。
素直に、憧れた。かっこいいと思った。
今からでも追いつけるだろうか。もうあんなに遠くへ行ってしまったのに、今からでも。
俺もあんな風に強くなりたい。そう思った。悟みたいになりたいと。
だから、病院の帰り、なんだか悟には会えなかった。
今の俺じゃあ、全然悟には釣り合わないから。
昔は弟みたいだった。いつも俺が支えている気がしていた。酔っ払った時も、仕事で怒られてた時も、格闘技を教えている時も。いつだって俺の後ろにいたのに。
だから、せめて今は悟に会わずに帰った。かっこつけたかっただけかもしれない。自分に自信がないのを、誤魔化すために。悟に会うと自分がいかに幼いのか、弱いのかがよくわかる気がしたから。
だけど、会いに来て良かった。話せてよかった。あんなに泣いたのも、抱きしめられたのも、何でもない会話をしたのも久しぶりだったから。すごく嬉しかった。
小さなことに喜べる自分にも気が付いた。
「会いに行ってこいよ。」
昨日の夜、俺が悟のベットのカーテンを閉めようとした時に、いきなりそう言ってきた。
「今からでも会いに行ってこい。」
「・・・・・・ん?」
「よりを戻してもいい。戻れなかったら俺の所に来てもいい。俺は、寂しさを埋めるだけでも、なんでもいいから。」
「・・・・・・。」
「もう寝るわ。じゃあな。」
なんて言葉を返せばいいかわからなかった俺に気を使ったのか、悟はそう言って横を向いてしまった。
悟らしい、不器用な言い方だった。
俺は、正直、東京に帰って来た今でも迷っていた。
明日、会いに行ってみようと思う。