東京は桜が散ってからはっきりしない天気が続く。もうすぐ本格的に梅雨になる。今日も雨だ。
俺は結局何もできず、今まで通り過ごしていた。女将さんのあの言葉を聞いてから一層悟のことが気になっていた。
だけど、電話もメールも、なんて言葉をかけたらいいのかわからなくて、何よりどんな反応されるのか怖くて、出来なかった。あの電話以来、悟からも連絡はない。
女将さんは時々電話をくれた。だけどお互い、悟の話はしなかった。しつこく会いに来いと言われることもなかった。ただ俺のことを気にかけてくれるだけだった。たった数分の電話が嬉しかった。だけど俺は、何も話そうとはせず、いつもいくつか質問をされて、いつもの優しい言葉を掛けられて終わりだ。なんだか自分が幼く思えて、申し訳なかった。それでも女将さんは月に数回、めげることなく電話してくれた。まるで母親みたいに。
朝、いつも通り女将さんから着信があった。朝に電話が来るなんて珍しかった。しかも、昼過ぎにもう一回着信があった。俺はたまたま仕事で出られなかった。
夕方、電話を掛けてみる。
「成樹君、悟ちゃんが病院に運ばれてね。」
女将さんの声は焦っていた。少し震えてもいた。
「え?病院?」
「そうなのよ。私、今相馬にはいなくて、知人の手伝いでイベントに出るために大阪まで来てるのよ。今朝悟ちゃんの職場の人から連絡を貰ってね、皆そろそろ仕事から帰る頃だと思うからもう少ししたら詳細が分かると思うんだけど、まだ何も分からなくて。何か連絡貰ってない?」
「いや、俺は・・・何も。」
「そう。もう少ししたら私も帰れるから、明日また連絡するわね。成樹君にも何か連絡があれば教えて頂戴。」
女将さんは俺に病院の名前を告げて、電話を切った。
俺は思わず空を見上げる。
「なんだよ・・・。」
そう呟いた。
もう空が暗い。
女将さんが電話を切ってからすぐに向かったとしても、大阪からだと到着するのはきっと夜遅くか、下手したら明日になるだろう。
俺は新幹線に乗っていた。相馬まで数時間。心配はしていなかった。女将さんの心配はきっと大げさだろう。
でも、もしも・・・、そう思うと少しだけ心配が襲ってくることもあった。なるべく考えないことにした。すぐに会いに行けない距離が俺をいら立たせる。
出発前、俺は駅のホームで悟に電話した。出なかった。すごく迷った。切符も買ったし、もうすぐ新幹線が到着する頃だった。だけど、迷った。怖かった。指をスマホの画面に当てるだけなのに、そんな簡単なことなのに、怖くて逃げたかった。
もちろん、本当に何かあったかもしれない。女将さんの心配は決して大げさじゃないのかも。そっちの方が嫌だったけど、そんなことはあまり考えていなくて、とにかく悟に会うのが気まずかった。
電話するのも、新幹線に乗るのも、すごく簡単だった。電話した時は心臓が飛び出るほど鼓動が速くなって、手に汗をかいた。電車に乗った時も。
おかしな話だけど、電話に出てくれなくて良かったとさえ思ってしまった。
恥ずかしいだけなのか、気まずいだけなのか。自分が別れを選んだから、その決意に反しているようで許せなかったのか。
世の中にはいろんな人がいて、俺みたいに決心ができず、中途半端に過去や人にすがって生きている人もきっとたくさんいるのかもしれない。俺よりもしつこく、女々しくすがる人も中に入るだろう。
それってきっと、かっこ悪い。
電話一つ掛けるだけなのに、馬鹿みたいに緊張して、言葉も見つからず、出なかったことに安堵する。かなりかっこ悪い。誰かに知られたら、きっと俺のイメージが崩れていくんだろうな。
なんだか、今日はそれでも良かった。構わないと思った。
そう思ったら、意外と勇気が出てきた。スマホの画面の、電話のマークを押す時も、新幹線に乗る時も。
もう壊れるものなんてないし、失うものもない。だから強くなれたんじゃないと思うけど、かっこ悪くなってみようと思えた。
そんな勇気が自分にあったなんて、少し意外だった。
今まで口実が無かっただけかもしれないけど。人間って都合良く出来ているものだ。新幹線に乗ってもなお、俺は自分に呆れていた。
だけど、本当に、ほんの少しだけ、強くなれた気がしたのは、気のせいだろうか。